19 『物知り博士』 サマセット・モーム

名手 モームの洒落たお話

次は『物知り博士』 サマセット・モームだ。

外国の短編小説というなら、詳しくない私でも、サマセット・モームという名前が出てくる。この『物知り博士』は1936年に雑誌に出た小説で、モームらしい小説と言えるだろう。

マックス・ケラーダという男と太平洋上をいく船で同室になった私。第一次大戦が終わったばかりのため、一人で船室を閉めることが無理であったため、同室の男と2週間ともにしなければならない。

ゲラーダは先に船室のあちこちに自分のものを既に置いていた。話をしてみると、陽気でずっと話をし続けるような男で、自分はイギリス人だというので私は驚く。褐色の肌で英語を使うが、英国人とは思えないような語り方からたぶん中東の人なんだろう。

乗船客にもすぐに彼のことが知られるようになった。話の中心に常に居なければ気がすまないようで、船客たちには『物知り博士』と呼ばれて、少し嫌がられているようであった。

ある日、食事のテーブルに医者、米国人の外交官夫妻と一緒になった。外交官は今回、妻が住むニューヨークまで迎えに行き、赴任地の神戸に赴こうとしているところだった。妻は慎まやかで周囲から好意的に見られていたが、夫はこのゲラーダに嫌悪感を持っているようだった。そのテーブルで、真珠の養殖のことが話題になった。ケラーダは真珠については博識のようだった。5分もすると二人は口論となり、ケラーダは自分が真珠の専門家であると言う。

「私のような専門家が一目見て偽物だと見破れないような養殖真珠を、日本人が作り出すことはあり得ません」と言い、外交官(ラムゼイ)の妻の真珠ネックレスを見て、高価なものだと褒める。

婦人は顔を赤らめ隠すそぶりをを見せたが、夫はそれがどのくらいするものであるかわかるか、と挑発する。ケラーダは1500ドルと値踏みするが、ラムゼイは妻が出発前に18ドルで買ったものだと主張する。ケラーダとラムゼイは、それで賭けをすることになる。ゲラーダは手にとってそれを見ている間、婦人はゲラーダを凝視し、怯えたように必死の訴えをしているようだ。ケラーだは言葉を飲み込む。そして自分を抑え、

「私が間違っていました。18ドルがいいところでしょう」とラムゼイに話す。ラムゼイは、自信過剰になるなとケラーダに言い、勝ち誇り、ゲラーダはラムゼイに100ドルを手渡す。そしてこの話はまたたく間に船中に知れ渡った。

次の日に、ドアの隙間から封筒が差し込まれ、その中に100ドル札が入っていた。封筒の字は活字体だった。ケラーダは封筒を細かくちぎって私に窓から捨ててくれと頼む。

「物笑いにされるのは誰だって嫌なものですよ」

「真珠は本物だったのですか?」

「もし私に美人の女房がいたら自分が神戸にいる間ニューヨークで一年も一人にしておきませんよ」

先生
先生

なかなか洒落ている小説だね。昭和の初め頃の設定かな。さあ、この小説は何を描いたものか?

と、今回もやりとりが始まった。

軽薄そうなおしゃべり男かよ

岡野
岡野

ケラーダという人はなかなかいい男だといえますね

と、岡野が言う。

岡野
岡野

こういう人物の配置はいいですね。良い意味で読者を騙す。単純な外交官の男との対比で僕はこのお喋りで、知識を鼻にかけるようなこの男を見誤ったことで、却ってちょっといい気分になりました。ところが、同室になってしまった「私」は作品を通して傍観者の位置を変えないし、ケラーダへも見直したようには描いていない。それなのに、この男に対して、「私」は好印象になってしまったように僕には思えるんです。不思議ですね。

どの辺りで「私」はケラーダへの印象を変えていったのか。そして、「私」自身がもともと軽薄さも受け入れていける人物だったのか。「私」という人物もただの観察者と言えるのか、こんなところも考える種になるかも。

でも、どういう物語かと聞かれれば、これは「軽薄と思われていた男が、自分が笑いものになることを覚悟して女性を守った物語」ということでいいんじゃないですか。

先生
先生

そうだ。外交官夫人が、自分の身につけていた真珠が高価であるものを夫に知られたくない、ということで、どうしても夫以外の男の存在を読んでしまうことは、誰でもそうだよね。夫人に浮気相手がいたことは確かだね。これがみんなが考える前提だよね。でも、そんなことどこを読んでわかるの?

と、先生が訊いた。これは先生なりの答えがありそうだ。続けて先生が言った。

先生
先生

どこにもはっきりとしたところはない。どうして?どうして?と続く問いに対しては、最終的には「そう読まなければ話にならない」ということにしかならない。間主観的な合意ということなんじゃないかな。哲学的な語句を間違って使っていなければ…。だって、もし夫人が自分で高いものを買ってそれを旦那に知られてくなかった、ということならこんな話、物語にならないもんね。

もっと複雑な事情があるのよ、っていう可能性はないの?

ここで、久しぶりに僕が口を出してしまった。

圭

それはそうですよ。でも、確かに浮気と関連づけるのはなぜなんだろう?

これに、大野が、

大野 
大野 

いや、最後の会話文を読めよ。自分だったら美人の嫁さんを2年もほっぽっておかない、と言っているじゃんか。これは決定だよ。

と言った。

圭

なるほど。でもさ、それってあくまでケラーダの理解だろう?これが『変な誤解をされるようなことしちゃった。困ったな。』っていう夫人の気にしすぎの行動だったら、この話自体が喜劇にもならねえ馬鹿話だよ。

と、僕は自分でも久しぶりになんか気分の高まりを感じて言った。それで夫婦のドタバタになったりしたら、吉本新喜劇だ。

さらに大野が入ってきた。

大野 右
大野 右

いや、それだけじゃなく、夫人のお願いもちょっと変だ。たとえ浮気相手のプレゼントだとしても、言い訳として高いものを無断で買っちゃったということの方が、彼女としては安全だ。なんでそんな言い訳で夫に謝罪しとかなかったんだろう。なにもケラーダにひっそり懇願しなくたっていいじゃないか。

いま、スマホで真珠を調べてみました。へへ、こっそりやるのが得意なんで…。真珠の意味としては健康、富、純潔そして愛情、涙。

涙は真珠の形からの連想らしいです。

だとすると、ニューヨークに残った男が彼女に別れの品として真珠を贈ったのは、適当なプレゼントであると言えますね

先生
先生

なるほど。これが、たとえば琥珀の装飾品だったまた別の話になっちまうもんな、たぶん。

これが、イメージャリーの効果なんだな

と、これは先生。でもなんで琥珀とか出てくるの?と僕は思った。真珠の対立項に琥珀が閃くのもなんかこの人らしいけど。

この奥さん、ちょっとどうかと思う

さらに、原さんも発言してきた。

原

私は、なぜこの奥さんはこの晩餐でそういう真珠のネックレスをして行ったんだろう?って疑問なんです。この疑問も、読みの膨らみに使える、というか使わねばならない要素じゃないですか?

夫人はニューヨークからの船旅で、夫と晩餐に出る時、わざわざ浮気相手からのネックレスをしていった、ということです。相手との別れで精神的な清算がなされなかった、というか相手を忘れようとはしていなかった、ということです。夫も、もしかしたらそれに感付いていたかもしれない。真珠をわざわざ賭けのタネにして、何か確認しようとしていたかもしれない。おしゃべりの男へのうんざりした感情は、妻の気持ちを知るためのお芝居かもしれない。

ちょっと妄想しすぎでしょうか

先生
先生

それは面白い。ただもうちょっと細かく読んでみる必要があるかもな

大野は言う。

大野 右
大野 右

それと、この小説の大きな特徴は、さっき言ったけど、ケラーダという人物だ。軽薄そうで、鼻持ちならないと言うのかな、俗人の代表のように読者は誘導される。本当は男気のある人なのに。映画ではこういう人物を時々見かける。あくまで端役であると観客に印象付けて、実はなかなか味のある役、つまり美味しい役ですね。こういう人が最後に変身するからこそ後味が良くなるんです。これも、作者の芸ですね

政治的な根拠主義は本当の根拠にならないのでは?

先生
先生

そう、そういう自分のいい意味でのこだわりも文章化して書いてみてくれ。自分の読み取りを文章化するということもなかなか難しいだろ。

ただし、こういうことも言われる。

 テクストを読むときに〈正統化するための〉根拠主義的といえるよう な理論から解釈論争というレトリックの政治学が考えられる。

 解釈は政治的コンテキクストの中で生じており、それぞれの解釈行為 は、かかるコンテクストに内在する権力関係(国家、家族、ジェンダ ー、階級、人種 等々)に直接関与しているのである。そして解釈をめぐる論争が極端な場合などは、こんなふうに決着されてしまう。

 それは《多数決》

  こんなふうに、普通として、打ち勝ってしまう——

 賛成——はい、正常——

 反対——すぐに、危険人物——

 そして〈鎖〉で繋がれる—— 

   ディキソンの詩

『現代批評理論 22の基本概念』 p261

ちょっと、カッコいい引用だろ。言いたいことがわかる?つまり、どのように読むのか、ということで、それぞれの意見で対立することがある。そこにはある意味で政治学というものが働いて、どれが正統なのかという闘争が始まる。「アウトプットされた文章や図やらから、どれが正当か、が結局多数決という形で決まっちゃうということをいっているんだな。そこで大事なことは、その読みを主張する戦略、表現が必要だということだ。アウトプットの巧拙がポイントだよ、ということだ。現代文のテスト問題もあんまり根拠、根拠というのは、それこそ根拠幻想というべきことではないだろうか。

さて、それはともかく、「〜という物語。」でまとめる文を思いついたかな。わざわざ不倫相手のくれた真珠を船中の食事の場に付けてきた、という読みなら、そうしたまとめの文が書けそうだね。独創的なものが出てきそうだな。みんな考えてみな。

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