2 俺たちには権利がある

なぜ聞き間違いが面白いのか

先生の話は続く。

「簡単に言えば、聞き違いがなぜ面白く感じられるのか、ということだね。例えば「ウサギ追いし」を「ウサギ美味し」と勘違いするのと違う。激しく歌詞を叫ぶメタルロックの外国語の歌詞が、たまたま「蕎麦が食いてー」と聞こえることが、なぜ笑いを誘うのか。

この番組では画面の動画だけは歌詞とは関係なく、そう聞こえるフレーズに向かって伏線を張るように工夫してある。最初はどうでもいいような動画が流れ、その聞き違いの部分にくると動画が伝えてきた伏線の意味がわかるようにうまく作っている。

視聴者は、背後でぎゃーぎゃー歌っている音を聞きながら蕎麦を食わんとする男の動画を見て、突然音楽の歌詞が「蕎麦がくいてー」と聞こえる(テロップで文字が出る)、そういうテレビを見て面白がっているわけだ。もちろん、視覚的に誘導されるからそう聞こえてしまうのである。つまり、歌詞では「このやろう。いてこましたるで。」とドイツ語で叫んでいるが、映像ではさっぱりしたものを好む真夏の日本のサラリーマンが汗をダラダラ流している様子が画面で流れている。そこに突然「蕎麦食いてー」と聞こえるドイツ語のフレーズが音として流れるのである。

しかし、こういう体験をするとその歌詞が、それだけで「蕎麦がくいてー」と聞こえてくる。一度体験するとそれが記憶となって頭に住み着くようだ。」

騙し絵の写真などを見せながら、いかに脳が刺激を記憶し、ものの見え方や聞こえ方が誘導されてしまうか、先生はそんな話をした。むろん僕たちには全く興味のないことだった。教室には空気よりずっと重いガスのようなものが漂うばかりだった。いったいこれは何の授業だったのかしらん。この人の話を聞いているのは僕一人だった。

そう聞こえちゃったんだから仕方ない

それでいいのだ

「だから、人間は見たり聞いたりしたことを自分勝手に納得して、解釈して、記憶に留まらせていくんだなあ。私が君たちに質問した時、答えてくれたことをしばしば聞き違えているね。申し訳ない。答えを聞いて『えっ?』って反応しちゃう時があるだろ。それは、予想していない答えを私の頭の中ですぐ処理できなくて聞き返しちゃっているんだ。間違いを責めてるんじゃないんだよ。おれの予想よりずっといい答えを出してきたり、才能を感じる解答もよくあるんだよ。

そこで一番言いたいことは、『そう聞こえちゃったんだから仕方がない』ということなんだ。叫んでいるとしか思えない歌詞を誰かが歌っている時、『蕎麦食いてー』と聞こえることはその人にとっては間違いではなくて、認められるべき結果だということなんだ。もしかしたら才能かもね。」

先生の言いたいことはまあわかった。人間は根本的に自分の頭の中の解釈によって理解するので、それを一概に否定することはない、ということだろう。

でもぼくは、だから何?と言いたかった。

この学校は中途半端な進学校で、周りの生徒はみんな自分のことにいっぱしのプライドを持った連中ばかり。そしてぼくも含めて、みんなクラスの中であまり目立ちたくないという人間も多かった。プライドはあるがそれほど自分に自信がないからだった。教師に対する心の中の不満はありながら、それを面と向かっていう勇気なんてありはしなかった。でも、深夜番組について、聞き違いについて、話をしておきながら何の結論も与えないこの授業にぼくはイライラしてきた。

思ったことは言っていい

「…ということを先に話しておいたのは、君たちにはどんな文章、絵画、音楽その他諸々について、どういうふうにメッセージを受け取ることも可能であり、そう受け取る権利もあるということだ。だって、そう感じちゃったんだから仕方がないから。そう読み取っちゃったんだから仕方がないから。」

と先生は言ってしまった。

…だって、それで現代文の試験なんてできるの?

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