名人ってのは本当にたいしたもんだ
先生は、
「私、落語好きなんだけど、昔、古今亭志ん生という名人がいたんだ。その爺さんの落語で、秀逸な言葉があって、それはこんなセリフだ。
あるおかみさんが夫婦喧嘩をして、旦那といっしょになる時に世話をしてもらった旦那の兄貴分のところに飛び込んでくる。
『あたしのことを蔑ろにするあいつと、もう一緒に暮らせないよ。兄さんどうにかしておくれ。』
『お前はすぐ俺のところにどうにかしろと訴えてくるけど、あの時一緒になりたいと頼んできたのはお前じゃないか。あの時俺はお前になんと言ったよ?あいつは酒飲みで、怠け者だからやめておけ、と言っただろ。それを、どうにか一緒にさせてくれ、でないと私ゃ生きていないよ、といったのはお前じゃないか。そう言っただろ。どうしてあのとき俺の言った通り別れなかったんだよ?』というんだ。
その時、そのおかみさんはどう返答したか?考えて言ってみな。これは難しいぞ。女子に聞いてみるか、小池、どうだ?」
このクラスでも大人しくて、優秀な小池さんも答えられなかった。というか最初から答える意志を持っていなかった。当たり前だ。こんな教師の問いかけは、もしかしたらセクハラになる可能性だってあるかもしれない。
「わかりません。」
「そりゃそうだよな。こんな質問を高校生にしちゃいけなかったかな……。実は志ん生は、おかみさんの返答としてこう言うんだよ。
「なんで一緒になったんだよ?」
『だって、……寒いんだもの……。』
……いい答えだねー。この『寒かった』はいろんなコノテーションを含んでいるじゃないか。ちょっと言いにくいけど、性的な感情から、心理的な意味から、もしかして単純に、本当に寒かったということが、好きになった原因かもしれず、全くいろんなことが聞き手に影響してしまう。またこの場面の語り方も絶妙なんだよなあ。」
出ました。このオヤジの得意わざ。人によっちゃあ好きな話かもしれないが、僕はどうもこういう時の先生のおしゃべりが一番苦手だった。しかし彼は得得として続けた。
「これは我々に解釈という大事なことを教えてくれる。『寒いんだもの』が含んでいる意味の、いろんなことを想像し、あるいは作り出すという創造もして、落語の聞き手を、なんとなく面白がらせる。この「なんとなく」が味噌で、はっきりわからないからこそこの返答は、面白い。彼女がもし、いっときの迷いで好きなったとか、相手の性根を読み間違えた、だとか言ったなら全くこの場面の面白みがなくなってしまう。後でまた考えるけど、こういう『もし、ここが別のこれこれの言葉だったら、どう会話が違ってくるのか、と仮に想定してみることはすごく有効だ。なぜなら言語は相対的な体系だから。これは後で。
どう?おかみさんが『寒かったんだもの』と答えるか、『あたしは騙されていたんだよ』と答えるか。前者の答えが際立っているでしょ。
では、なんでそんな感情が第三者として聞いている我々に起るんだろう?
この答えは、『それを面白がっちゃうんだから、仕方がない』ということじゃないかな。前の『そう聞こえちゃうんだから、仕方がない』と同じことなんだろう。そして、こういうことをあれこれと考えるのが大事なんだよ。人間は、言葉の表面の意味、記号表現・シニフィアンと呼ばれるけど、これから逸脱して感じとっちゃうんだな。つまり、「物語を作って、作って、作る」とこれを永遠にやっていく生き物なんだ。
本当の国語の授業の面白さもこんなことじゃないのかな。大学入試には役立たないというご批判は多いが、模擬試験なんかで、気が付いたら問題文を鑑賞しちゃってた、なんていう経験もみんなあるでしょう?むしろなんで面白く感じちゃうのか、というようなことを考えるのは全ての勉強、学問に関する基礎的な力なんじゃないの。決して入試に関係しないわけはないよ。だって大学はそういう人を求めているんだから。テストの点の取り方ばかり身につけているやつを採ることに、どんどん反省が大学にも起こっているらしいよ。むしろこれこそが『生きる力』だよ。それも当たり前だよ。
この学校だってダメなんだよ。
大学入試突破のノウハウなんか教えて、それを予備校どころか有名進学高校の“ウリ”にしているところなんか、今にどんどん淘汰されていくよ。本校もそういうおバカな生徒を集めてきて、そういうカリキュラムを守っていくと、いつかはしっぺ返しをされてしまうことになるよ、大学からはもっと考える生徒を寄越してくれって、言ってくるようになるよ。お前ら、…じゃない君たちね(燃えて喋り出すと言葉に気をつけなくなってきちゃうな)、授業の上手な先生とかなんとか言ってるけど、今にどういうことになるか、ちゃんと私の言葉覚えててね。
実は、学習指導要領というのがあって、生徒に『生きる力』をつけろと言っている。教育学者や役人たちはどうも功利主義的に言っているような気がするけど、おれに言わせれば、生きる力って、言葉を面白がるための基礎的な力のことじゃないかと思うんだけどね。
本当のいろんな勉強、学問も、基礎的な力がなけりゃその『旨味』もわからないもんだよ、たぶん。
もう一度確認しておくと、なぜそう思うの?という問いに正解はない。それを説明する答えにチャレンジし、一応の結論に辿り着くことを目指す。自分で答えを作ってみて、自分で納得できるか試す。これがやるべきこと。模範解答に合ってた、間違えてたで一喜一憂する世界から抜け出ることがこの授業の目標かな。あまりに難しい境地だけど。…と授業のわかりにくさを内心反省しつつ、続きを考えていこうか。」
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