こういう旦那と奥さんっているよなあ
今回はまたイギリスの短編。
『天国への登り道』作者はロアルド・ダール。
フォスター夫妻という金持ちの夫婦。高層の住宅に住み、使用人に囲まれて不自由のない生活をしている。この妻は予定があると準備を完璧にして置いて、時間の余裕を持たせておかないと我慢できなくなるタイプ。外出にも30分前には身支度を整えておきたい。夫はその妻に合わせてくれない。しかし夫人は夫に対して自分の気持ちを口に出して責めるような人間ではなく、あくまで控えめに、自分の希望を口にする。
いっぽう夫は高圧的であり、妻の様子を見るとわざと鈍い動作や細かいことを口に出して、妻をイライラさせるような、意地悪な態度を示す。
ある日、パリ在住の夫妻の一人娘の子供たちに会いに、婦人だけが行けることになり、夫人は有頂天になった。出発の当日になって、ひどい霧が発生し、夫は空港に夫人を送りに行くのだが、この車中でも、夫人は間に合うか心配でイライラする。この日は飛行機は欠航となってしまう。
次の日、夫を途中で降ろし、夫人は空港に行こうとするが、家を出るに際して夫はわざとぐずぐずしているようであり、忘れ物をしたと言う。夫は夫人の旅行中は使用人に休みを取らせ、自分はクラブに滞在するので家は無人となる。彼はその家に忘れ物をとりに行き、なかなか戻ってこない。夫人は玄関まで夫を呼びに行くが、ドアのところで耳をすましてしばらく留まっていた。
しばらくしてから彼女の顔に生気が戻る。すぐに夫を置いて空港に行くように運転手に命じ飛行機に乗ることができた。パリでは孫と十分に触れ合うことができ、楽しい日々を送ることができた。
6週間後に夫人は帰宅した。彼女は意外なほど帰宅して夫と過ごすことを苦にしているようには見えなかった。
家に帰り、ベルを鳴らしても、内から夫は出てこない。家に入ってホールでエレベーターの昇降指示機を見ると、2階と3階の間を指しているのを見て、彼女は修繕屋にエレベーターの故障を直すように電話をかけた。
さあて、どうかな。作者のダールというのは英国の小説家で、皆さんの世代では、あの映画になった『チャーリーとチョコレート工場』でお馴染みかな。私たちからするとダールって全然違う印象なんだよ。私が最初あの映画が話題になったとき。『えー!ロアルド・ダールが原作なの?そりゃきっと面白いだろうけど、なんか、見るの、怖そう。』と思ったよ。だって、『南から来た男』だからねえ。あ!知らない?じゃあもう言わない。ぜひ読んでみて。そういうダールしか私は知らなかったもんだから。
それで、この小説はどういうお話、と言えばいいのかな。
と先生がいつものように始めた。今回はイギリスの短編小説。わりかし新しいもののようだ。僕はざーと読んでみたが、あんまり集中できないでいたので、話の流れを把握できなかった。みんなの発言を聞きながら理解していけばいいか
帰ってから電話して終わり?
「はい。最初何が何だかわかりませんでした。うるさい夫とそれを我慢して長年暮らしてきた妻。こういう夫婦関係は陳腐です。うちの両親だってこんな感じで。昼間のテレビで再放送しているドラマなんかでよくあるパターンですね。妻がついに爆発して離婚とか、殺意を持つとかなんて、ありそうじゃないですか。こんなの読む価値なんかあるのかな?なんて思いながらも読んでたら、急にプツンと終わっちゃった。
これ、夫がエレベーターの箱の中にずっと閉じ込められていて、それを見捨てて妻がパリに旅立ったという恐ろしい妻のお話、ということじゃないんか。そうでなければ本当に何が何だかわからなくなる。他の読み方があるとは思えないよ。
と、広田が言った。
まあ、それはあたしもそうは思うけど、なんでみんながみんなそう思っちゃうんだろう、ということがね。そういうこと授業でやってきたんじゃん。」とよし子。「どうも、このおばさんって現実感がないというか。耳をすませて夫の死を予期して、そのまま行っちゃうもんでしょうか?
そういう積もり積もった恨みが人を変えちゃうのがこの小説のテーマなんだろ
夫が閉じ込められていることを知って『夫人の姿がぱっと生気を帯びた』とあるのが一番の証拠でしょ。それがどうも現実感がないのよ。無理っぽい感じがするのよ。夫の死を確信したのよ。
彼女は運命に賭けたんだ
いや、そうじゃない。彼女は家の内部の音かあるいは夫の助けを求める声を聞きながら、自分の運命を賭けてみたんだと思うよ。だって、夫がどこから呼んでいるのかなんて彼女には、はっきりとはわからなかった。どんな状況に夫がいるなんて、そんなことわかるはずないと思う。
だからこそ、帰ってきた時迎えの車がいないのに『空港に着き、フォスター夫人は迎えの車が来ていないのを見て、どきどきした。いや、むしろ、それがうれしい気分だったのかもしれない。』とある。たぶん彼女は運命に身を任せ、そして思い通りの状況にしてくれた運命に感謝してたんじゃないかな
その運命への感謝は、そこまで言えるのかは疑問だけど、確かに面白い読み方だと思います。
ただ、私はこの小説が、小説として成り立っているいちばんのポイントは”エレベーター”という機械なんじゃないかと思っているんです。エレベーターの箱の中でうるさい夫を死なせるためには、自宅が多層界の豪邸である必要がある。そういう家には使用人が多数いるはずだから、何日か夫を閉じ込めさせるためには、一時的に彼らに休暇を与えなければならない。夫がいくら声を出しても、他人に気づかれない状況が必要です。使用人たちの給料をケチっているような理由がいい。そうなると、この夫婦はきっと大都会に住むアメリカ人であることがふさわしい。イギリスの小説家なのに、アメリカ人という設定なのはそういうことなのよ。イギリスじゃあ大富豪は広大な敷地を持つ田舎に住むのがイメージでしょ。それに階級社会でありながら、使用人は使用人のプライドを持って働く、という定番に合わないから。もしかしたら、こんな順序で物語が造られたんじゃないかしら。
そのエレベーターが出てくるのは最初、婦人が出かける時は身支度を整えて30分前には「エレベーターから足をふみだしていないと気がすまなかった」という記述があって、それ以降はでてこないんじゃないかな。つまり、物語はずっとエレベーターを隠しているんです。これは意図的にそうしているんじゃないかな。
考えてみると、どこかの部分でエレベーターの調子が悪くて、主人が修理の必要性を話しているような場面があったら、きっとこの小説の味わいは変わってきただろうと思う。つまんなくなっちゃうじゃないかな。そう考えると、うまく作ってあるなあという感じがしますねえ。エレベーターという機械を隠していったというのも、プロットの問題と言っていいんじゃないかなあ。
さらに、エレベーターは何の表象かを考えてみたらいい。去年授業で松浦寿輝『エッフェル塔試論』の紹介があったのを僕は覚えてます。エッフェル塔のエレベーターの作る浮遊感が近代機械文明の表象と関係する、とかいう話だった。他の授業は覚えてないけど、ここんとこだけ覚えてる。あとは本を借りて読もうとしたけど、ムリ!でした
先生は言った。
正直言って、私も我慢して読んだが、全く後半は記憶にないわ。
この家はエレベーターまでがフォスター邸で、夫人はこの家から早く出たい、脱出したいという欲望があって、旦那をその家に閉じ込めておきたいという欲望もあった、とも読めるんじゃないかと思った。無理矢理の意味づけだけど
エレベーターが何かを何かを表象している
エッフェル塔のエレベーターが表象するものとこの家のエレベーターが関係するかというと、ちょっと疑問が残るが、あの評論を読んだ者としてエレベーターが出てくると、何かを想起してしまうということは理解できるね。時代や場所、状況によって想起の内容は違ってくるから、この小説の場合はエレベーターは”幽閉される箱”かな。
ということで、「口うるさく、妻を抑圧する夫が、ある時自宅のエレベーターの箱に閉じ込められてしまった時、それを好機として夫を死に至るまで閉じ込めた”というのは良いかな。いや、夫は実は助け出されていたはずだ、という人は?夫がエレベーターで発見されたがまだ生きていた、ということだって(これはないか…)。
じゃあ、「運命として仕組まれた、自動的に天国へと上昇する機械によって夫を死へと送り出す機会が与えられたことを、妻が理解し使った、という物語。」とまとめるのはどうですか。
うん、面白いと思う。
他の人も、自分なりに読んで、まとめの文にチャレンジしてみて。
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