24 『レ・コスミコミケ』 なんだ、これ?

Qfwfqじいさんのほら話——「月の距離」

イタリアの小説家、イタロ・カルヴィーノのSF小説、『レ・コスミコミケ』を今回は読む。最初の「月の距離」の章を読んでみよう。作者は1923年生まれ。キューバ生まれのイタリア人でこの作品は1966年に発表された。話の流れは……

月の距離 La distanza della Luna

 Qfwfg老人が言った。

わしらの上にはいつもあいつが負っかぶさっていた。

満月のときは波がものすごく高くなって、月の下まで漕いでいって脚立(榻)を立てればそれでのぼれた。

わしとVid Vid 船長夫婦、わしの従弟の聾人とXlthx嬢ちゃんも、いっしょに舟で出かけた。

舟に脚立を立て、一人が支え、一人が登り、一人が櫂を漕いで月の真下にいく。

月にいちばん近いとき脚立の上にいると手が届く。月の岩にしがみつき、とんぼ返りすることで月に行ける。

月に行くのは月のミルクを取りに行くためだ。地球のいろいろな物質が月の岩と岩のすきまに付いて発酵して月の表面の石くれの下に泥のようにたまる。それを取りにいく。そのおねばをすくっている。そのいちばん上手なやつは従弟の聾だ。あちこちで乳液をみつけ出し、それを集めるのだった。

わしのいちばん執着したのは、実は船長の奥さんだった。そしてその奥さんが執着しているのは従弟だった。どれほどわしは従弟に嫉妬を感じたか。地球に帰るときの従弟をVhd Vhd夫人はいっさいの遠慮も忘れて、全身でやつを自分の腕で巻きつけるように、月からひっぺがえした。

ある日の、満月のとき、彼女は「今日は私もいっしょに行ってみたいわ」と言い出し、船長も反対しなかった。そしてわしが登っていくことは許さなかった。

その日はいよいよ月が遠ざかろうとする日をだった。「月が遠くなっているぞ!」という叫び声がしたとき、月にいた従弟が空中に飛び出して、地球に戻ろうとしたものの、地球の引力に入れず、しばらく中間で泳ぐことになってしまった。月にいた残りの水夫もみな泳いでいたがなんとかして海面に落ちてきた。

船長夫人もジャンプをしていたが月に残されていった。わしはそのとき飛び出して、空を泳いだ。彼女めがけて行ったのだが、彼女はくるりと背中を見せるのだった。わしは彼女の腰に抱きつき、月にころがり落ちた。こうして二人は残されてしまった。ゆっくりと2人だけの一ヵ月がはじまった。

わしは幸福であるはずだった。しかしわしは地球のことばかり思い出した。

わしは敗北した。彼女の思いは従弟でありつづけた。月の上をさまよいながら、従弟の愛情の唯一の対象である月と同化することだけが、彼女の望みだった。

一ヵ月が経ち、また接近の時がきた。地球の海上では我々を救おうとする小舟があった。人々は棒を持ち上にいるわしたちをひっかけて地上に引きもどそうとしていた。従弟が長い竹竿をつなぎ合わせて月にむかって立てていた。わしはそれにしがみつき登っていったが、彼女は従弟が唯一愛する月に留まることにしていた。

地球からわしは見た。別れてきた場所に横たわるハープをかかえ、ゆるやかなアルペジオを掻き鳴らしている女がわれわれの真上にいるのを。

先生
先生

さてこれを読んでどうだろう?どういう物語だろうねえ

月が表象するもの? 決まってんの?

福生が応じようとしていた。福生は「留」という名前。ものを勝手な憶測で判断することを極端に嫌がるような厳格な男だった。

福生
福生

地球と月というのがイメジャリーとして何を物語っているのか、というのが問題じゃないですか。つまり、月ってなんでしょう? それってみんなの同意があるんでしょうか。

僕の印象では去年漢文の時先生が言ってた、月が漢詩で出てきたら何を連想させるか、それがほぼ決まってる、という話。それを思い出しました。”月は故郷”これが代表的な考え方でしたよね。特に同じ月を離れたところで見ている家族とかを連想させると。でもここは反対でしたね。月から故郷を見てるし。あとは僕たちは月で何を連想しますかねえ

羅漢も手を上げた。こいつは心理学をやりたいのだと。どこが面白いのかねえ。

羅漢
羅漢

小説に読み方があるような話にちょっと興味を持って、最近ある本借りてを拾い読みしたんだけど、アレゴリーというものに引っ張られて僕らは物語を読んでいる場合があるということでした。別のものである教訓を連想させるというものらしいです

先生
先生

高校生にしてはすごい読書傾向だな。なかなかやるなあ。

羅漢
羅漢

たとえば「森」から「迷う」が連想されて、それからまた「過ち」が連想される。これもコノテーションでしょうか。「森」はシェークスピアでも逃避の場所であったり、自由だったり、そういうことを匂わせる場所として使われているらしい。って、実はシェークスピアなんて読んだことないですけど。

それで、月ですけど。フランケンシュタインでは、恐怖や劇場に関する場面で使われているって。月は狂気や、復讐を誓う時にも出てくるって。ギリシャ神話でも女性を示すらしい

先生
先生

それは面白いね。月というのは、いろんなものを連想させるんだね。月の背景に暗黒がある、ということも影響するのかな。

レトリックに関しては佐藤信夫という先生の『レトリック感覚』『レトリック認識』などの本がある。君たちが読んでも面白いんじゃないかと思う。評論文入試問題の対策にもなるよ。

それぞれの意味よりも、地球と月は関係が問題

風向
風向

…とすると、ちょうどこのお話にも合うわね。月と地球とは付いたり離れたり。一月くらいで接近するのも、人間にたとえるとちょうどいい関係ということになるんじゃない。女と男のことは全然わからないけど、上下逆転の世界で接近するけれども絶対交わらないという星と星の関係と女と男の関係が何か重層的に読む人の印象に入ってくる、みたいな感じがあります。だからさ、二人きりで一ヶ月いっしょにいると何かうまくいかなくなるでしょ

福生
福生

いやー。なるほどなー。風向さん深いね

風向
風向

それでも、ずっと愛する男じゃなくて最終的には、その男が本当に目的としていた月という場所を選んでしまうという愛する男じゃなくて、その男が愛する星を選んじゃうという。面白いわね

福生
福生

そして、”わし”と船長の妻と従弟、それぞれがそれぞれ執着するもののズレを、結局は変えられず、守ってしまうんだ

先生
先生

さっきのフランケンシュタインの話は『批評理論入門』という本で廣田由美子という英文学の先生が書いた。結構評判になった新書で続編も出てる。これは私の話のネタ本でもあり、先に読まれちゃうとちょっと困るんだけど。まあ、冗談だけど。

昔フランケンシュタインなんて聞くと怖い話とばかり思っていたんだが、実際読んでみると、映画やマンガのフランケンと全然違う。びっくりしちゃう。フランケンって怪物の名前じゃないし、怪物の悲しみはもっともだし、小説が外国の案内のようにも読める。興味ある人は両方読んでみな。国語力もつくと思うよ。

さて、他にどうだ?別に男と女の関係に結びつけて考えなくてもいいぞ

拝出
拝出

どうも訳わかんない小説なんだけど。月も地球も妙に適当な引力のバランスになってる。男も女も人間関係のバランスが本質的な問題なんだということなのかな。でもちょっと気になるのが、船長っていう存在ですよね。船長に注目したら、なんか新しい読み解きができるような気がするんだけど。まだなんか説明できない

福生
福生

船長って嫉妬しないんだね。あと、読めない名前ね。ユダヤ教の神を連想しちゃうけど。ただ僕はいろんな関係について考えると、全ての悩みや問題は離脱さえすれば方が付くというふうに読めたんだけどね

羅漢
羅漢

月のミルクってのもなんだか…

お互いに見上げてみている、という発想の面白さ

風向
風向

最後の場面。地球からみると真上に横たわった女、月から見ると棒で下に向かってつき出している連中がいて、その中間で右往左往している水夫。想像するとすごく面白い

福生
福生

そう考えると、なんだか以前やった紀貫之だかの和歌を思い出したぞ。なんだっけ

大野 右
大野 右

オイラの出番か。えーと

影みれば波の底なるひさかたの空こぎわたる我ぞわびしき(土佐日記)

ですかねえ。おんなじ発想かどうかはわからんけど

拝出
拝出

いろいろ面白い。一編読んだだけではなんのこっちゃと思ったけど、人によっていろんなこと考えてるわけだ

先生
先生

まとめて文章化することが難しいけど、いろいろな連想を通して、こんなことが描かれている小説だ、というアウトプットができるようになると素晴らしいな。

私自身は、この小説を読んで前にやった『夢十夜』を思い出してしまった。みんなは覚えてる?私は『夢十夜』の第一夜を男と女の深い断絶を描いたものだという解釈だったが、この『コスミコミケ』も同じような印象を受けたんだ。ここでは女は男に愛の表象として何を送ろうとしている?夫人は月に取り残された長い一ヶ月の前にはハーブの”泣き音にも似た調べを奏でていた”のである。そして、男は聾者なのだ。もちろん障害ある人に対する貶めようとする気持ちは私には全く無いよ。でも私の物語の読み方にどうしてもこのことは絡まってくるんだ。全く罰当たりな読みかもしれないし、もし読みの深さが足りないと、この考えが否定されることがあったら障害を持つ人たちに申し訳ないけれど。『夢十夜』第一夜と同様の男と女の不可避的なすれ違いが描かれているんじゃないかと思う。(実際にそういう関係であるということではない。)『夢十夜』はだんだんそれが明らかになっていくのだが、『コスミコミケ』の設定はより深刻なすれ違いだとも言えるような気がする。

まあ、今回もいろんな読み方があるという話だな

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