植民地を有していた日本人
この小説ではかつて日本が植民地とした朝鮮半島の人々を朝鮮人としている。もしかしたらそれが蔑視的呼称と受け取る人がいるかもわからない。しかし今回は本文のとおりにしておきたいと思う。当時の日本ではそういう感情、蔑視で彼らを呼んだことは、確かにあったと思う。それを前提に、意識して読みたい。
朝鮮から引っ越してきた一家。私が数え年十の頃だった。私にとっては言葉が通じないことがまず問題だった。私たち一家はまわりの人々とは没交渉といってよかった。弘前に来て一番驚いたことはそこに
朝鮮人が一人もおらず、おわいの汲み取りまで日本人がやることだった。家にやってくる物売りに、私は弘前弁で「よこす(いりません)!」と断ったが、母はすぐに「ここは朝鮮じゃないのよ」ときつく言った。私の人もなげなもの言いを弘前では叱ったのである。
学校では標準語で教科書を読めるのは私一人であったため、私は優秀な生徒になってしまった。叔母からは褒美にグローブとバットが送られてきた。私は特別野球に興味はなかった。元来スポーツは苦手だった。
しかしだんだんと弘前に馴染むことができた。
夏のある日、学校帰りに弘前高校のそばで野球を見て、何気なしに野球をしたいなとつぶやいたことで、友人のFに野球に誘われた。私はグローブを持って広場へ行った。そこにはFと年上の連中とで素手で球を追いかけていた。その姿は皆私よりもずっと上手だった。
私は野球をもっと都会的なスポーツで、田舎の子のやるものではないと思っていたのだ。私はここに来たのを後悔した。しかし彼らはまず私の実力を測ってから……ということだった。
私は全く彼らの中に入れる力はなかった。私はグローブをFに貸し、ひとりで彼らを眺めていることにした。
そこへ母が来た。なぜか私はその時松の木に飛びついて登り始めた。木登りでもしている姿の方が母に愉しく見せられるだろう。母は木の下まで来て息子を見上げている。私の知らない子供たちが球を追っている姿が私の眼にうつった。
まずみんなで確認すべきことなど話し合おう。私はどんな境遇にいたのかな。またどういう性格の子供であったんだろう。
弘前の前は朝鮮にいた。そこから弘前に越してきたということ。転校生かな。
それって何を意味す?。どういうことを読者は連想する?引っ越したって、たとえば盛岡から越してきた、とは違うだろ?
植民地にいた。そこにいた朝鮮の人々からひとつ優越感を持つような立場にいたのが日本に戻ってきた、ということ。そして、日本に戻るにしても、東京とか大阪とか出なく地方都市に戻ってきたといういうことも何か微妙な感覚を持たせますね。
それから、もちろん時代も感じられます。敗戦後の感じがしない。敗戦後に本土に引き上げたのならわざわざ縁のなさそうな土地には帰ってこないだろうし。それから子供が野球をしている時代です。そんなに古い時代じゃない。
野球って単なるスポーツの一つではない
弘前高校ってあるね。これは旧制高校だ。今の弘前大学だよ。そこでここからはどんな情報が読者に入ってくるかな。読者はどんなふうに理解を誘導されるかな。
植民地で生活していたことでいわゆる「いい暮らし」をしていたことが想像されますね。朝鮮での物売りへの対応を弘前でして母から叱られているのは、こういうことでしょ。つまり「上から目線」というか、植民地の人々を見下している日本人の態度を無意識のうちにしていたということです。そして、帰ってくるとよそ者という立場。朝鮮では母親は子供の態度を叱らないんですが日本に帰ってくると態度をあらためろと言っているんじゃないかな。周囲の目線を過度に気にしなければならなくなるという立場の逆転。こういうことがこの小説の底音として流れているようですね。大陸に渡った日本人の意識を表している。
おう、そうかね。立場の上からと下からという二項対立と言ったらいいのかな。植民地と祖国という二項対立というか、そんなことが問題となっている小説、ということかな。
その他にはどんなことに気づく?
えーと、都会と田舎の二項もあるなあ。それと関連して、勉強のできる子とできない子、スポーツのできること苦手な子。それから標準語と方言。みんな二項対立的になってる。というより、二項対立として考えると出現した問題について考えやすくなりますね。前にも授業で聞きましたが、たとえば「野球」が少年たちの間で流行っていたところを、「相撲」なら、国家主義的に印象が引っ張られていき、「テニス」なら地域がハイクラスの家庭環境みたいに引っ張られる。スポーツや遊びに含まれるコノテーションだな。
「野球」を素手でやる、というところではアメリカ的な集団スポーツに憧れる少年たちでありながら、実際には使う道具も揃えられない田舎の生活空間が感じられるという……。しかし完全な農村ならそうした発想もない少年たちが大部分で、親の仕事や兄弟の世話をさせられる子供たちが多かったろうということも考えてしまいます。
優越感をもつ、もたないということもあるんじゃないですか。この「私」という人は恵まれた家庭で育っていたことは確かでしょう。植民地では汚い仕事などは地元の人々にさせて、物売りに対してはぞんざいな口振りでものをいっていたわけです。心の底でそういう生活に悪の意識を持っていたことは、母親の口ぶりに出ていますね。
で、弘前ではどうか。弘前では二年間、父も母もほとんど地元の人とは没交渉だったとありますから、やはりよそ者意識とともに木本に馴染みたくないという優越感というか、そういう意識でいたんでしょう。短期間でもっと住みやすい都会への転勤を信じていたのかもしれませんよ。弘前なんて安住すべきところじゃないという意識だったんですよ。
こういう情報は極力ない方がいいと思うんだけど、まあいいか。作者の安岡章太郎の父親は軍人(獣医)だったらしい。当時としちゃあすごく幅を利かせられる職業だったろうな。しかも、いわゆる転勤族となる。子供たちは転校転校の連続だったろう。
「デラシネ」という言葉をみんなご存知かな?「根無し草」という意味かな。こういう感覚がこの少年にはあったのかな。五木寛之という作家がいるが、彼を含めて太平洋戦後に日本に引き上げてきた人々にはそういう感覚を持った人がいたそうだ。帰国しても日本というものに馴染めない、違和感を持って育っていった若者も多かった、というな。
そうすると、この小説は何についての物語だ、ということになりますか?
ここでも一つの側面では語れない
ナイーブな少年の疎外感についての物語なんじゃないかな。この特異な時代の、日本人の、大都会から離れた地方都市にたまたま放り込まれた、気弱な少年の物語、という感じかなあ。
悪いけど、それは作者の罠にハマった解釈じゃないかなあ。
僕は、最後の場面で「身のすくむような想いで飛び上がった」以降の記述がこの小説の命だと思う。私はグローブもバットも放り出したかった。友人に貸してしまってホッとしたんだから。送ってくれた叔母が思い出される。お稲荷さんの裏手に住み、いつ夫の首がスポンと切られるかもしれないと言っている叔母がくれた野球道具は”忌むべき”ごほうびだったんだろう。それを放り出して野球を見ているだけの時に、母親がきてしまう。それも白いパラソルを差して。せめてパラソルなしならまだ良かったと思わない?
そこで彼は松の木に飛びついててっぺん目がけて上りはじめた。
なぜ?なぜ母に追われて松に飛びついてしまったのか?
そのまま草原を遠くに走れば良かったのに、と僕は思った。今村、おまえどう思う?わかんねえだろう?
逃げるのに木登りする、つまり上に向かうというのはこの少年の無意識の立ち位置を示しているじゃん。地元の少年たちや、その少年たちと交われないことを知った母親とは別の次元に居たいということを示している。新しいことは上にあるんだ。
つまり、僕だっていざというときには今村と同じ立ち位置よりは上に居たいもんな。
こら、おまえはおれと変わらない低空飛行レベルじゃねえかよ。
植民地でも上から目線、弘前でも野球はできなくてもやはり上から目線、という彼の問題ですよ、読み取らなければならないのは。ナイーブに見えてそうではない。ドラえもんならツネオですよ。自分の自意識の高さを表に出すこともできないのに、内心はそんなことない少年なんです。今村みたいになんでも内面を出しちゃうやつとは違うけどね。
こら、広田!俺はそんな単純じゃないわ。
松が高みを示唆しているとすれば、この読み方は前にでてきた『羅生門』と通じることが思い出される。『羅生門』も二階へ行くということに意味があるという話を授業でありましたよねえ、先生。それと同じようなことがここでも言えるんじゃないですか。
この少年の逃走だって単純ではない。松の木は高みに進めるものだが、しかしどこまでも逃げ切れるものじゃない。枝の先についたら、それ以上は逃げられない。そこに逃げてしまったんだ。少年も高みを目指しても限界はすぐそこにあり、そして結局母親のもとに戻るほかはないことを作品は予感させている、母親が下から見ているシーンはそういう状況を作るためだ、とまあどうだ広田!
ふーん、お前もなんか考えることはあるんだな。でもちょっと考えすぎだ。「間主観性」はねえな!
まあ、君ら二人の掛け合いも面白いが、他の人も何か気がついたことあるんじゃない?もう一度読み落としたと所はないか確認して、それに理由がつけられれば面白いな。みんな考えてみて。そして文章にまとめて、いいね。こういうの練習しとくと後でえらい論文作成の実力がつくからな、知らんけど。
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