第一次世界大戦講和記念祭が東京で行われた日、それを思い出したのは当日の花火だった。わたしは一人押入れの壁土を反古で張っていった。ふと自分が孤独で、世間から離れてしまったのを悲しいような寂しいような感じがしていた。
この国旗や提灯が掲げられるような祭りは、明治新政府が西洋を模倣して作った現象であり、日本古来の祭礼とは精神性を異にしたものである。
思い直すと、憲法発布の祝賀祭で国家に対して「万歳」とよぶようになったのはこの頃であった。その後の大津事件ではひっそりとして薄暗くなり、日清戦争、奠都三十年祭、日露開戦では米国に居て世間は騒がしくなかった。
明治四十四年わたしは市ヶ谷で囚人馬車が五、六台引き続いていくのを見た。わたしはこの事件で、文学者は思想問題について黙していてはならないと感じた。しかしわたしは世の文学者とともに何も言えなかった。以来わたしは自分の芸術の品位を江戸戯作者のようにしようと思った。わたしは下民の与り知らぬことには関心を持たず、江戸の猥雑な世界に潜っていった。
それから大正2年、大正4年と社会騒動があり、大正7年に米騒動があった。こうしたことを思い出すともなく思い出すようになった。現実の騒動はわたしを江戸回顧の夢から呼び覚ますのであろうか。
花火はしきりに上がっている。梅雨期の静かな午後と秋の末の夕方ほどもの思うによい時はあるまい。
これ小説?
小説ともいえない、随筆ともいうべき作品だと思うが、これにも物語ともいうべき奥深さが仕組まれているかもしれない。まあそれはともかくどんなふうに読んだかな皆さんは。
「わたし」って人は世捨て人という設定ですね。表舞台から路地裏に引っ込み一人で生活しているようです。そのいきさつも含めてこの記念日に回想して書いている、というていですね。
この引きこもるという考え方には僕は妙に憧れと同情を感じるなあ。でも何から何まで一人でやってるんですよねえ。寂しいだろうなあ。世間に背を向けるということはこういう覚悟がいるんですよね。
草稿の切れはし、なんてあるから物書きか。こんな時代に米国にいたとかあるし、慶応に通勤とか書いてあるから、学者の設定だろう。つまりエリートなんだよ。社会的な身分とか職業とかを捨てる、ということが読者にとっても大事なことなんだ。僕たちがこの受験をエスケープして社会に背を向けるような人生を送っても、誰も認めてくれないんだ。一旦は名をあげ、成功しないと誰にも認めてもらえないんだ。おんなじ文章を書いてもね。これはどういう仕組みなのかなあ。だって、ある文章作品はそのものにおいて評価されるべきだろう?
日本には、古来隠者の文学ってなものがある。本来中国の文人たちの伝統が来ているのかもしれないが。たとえば西行なんてそうだね、芭蕉も。決して落ちぶれた文人とは思われない。彼らを隠者とは呼ばないけれど、世俗を離れた人というのは皆エリートなんだ。尊敬されるべき人だね。伯夷・叔斉、竹林の七賢、鴨長明、兼好とか、すぐ頭に浮かぶ。単に世を捨てるのとは違う、という感覚だな。それなりの成果を残さないとだめ。これは当たり前かな。わたしがそういう選択しても、ただのナマケモノとしか言われないよな。
だいたいが、ほら、先生は”怠惰な批判者”としか見られないでしょう?
いや、僕は先生のこと、そうは思いませんよ。……成績よろしく。
荷風のことも少し
言ってくれるねえ。まあそれはともかく、この小説の論点を挙げると、世間からの脱出をどう考えるか。また、時代の匂いというか、雰囲気というか、これを感じるか。どこに感じるか。現実と文学者との関係をどう思うか、そんなところかな。
ちなみに永井荷風はエリート官吏の子供に生まれて本当に外国留学の経験もあり、帰国後耽美派の作家として活躍した。鴎外の推薦で慶應義塾の教授につき『おかめ笹』『墨東奇譚』などを書いた。ところがこの後の荷風の人生が面白いんだ。日記が『断腸亭日乗』という名で出ている。これが傑作なんだな。ちょっと授業で説明し尽くせないが、この人は素晴らしき狒々ジジイ。しかもそれでいて戦後は文化勲章とかもらっちゃうんだからなあ。
じゃあ、またご意見をもらおうか。
この小説家、知らなかったんですけど、面白い人ですね。現実逃避といえば言えると思うんですけど、正直、僕なんかもそういうところがあります。でも、僕らと同じとはいえないですね。
たとえば僕たちがすでに習っている「大逆事件」に関する記述ですよね。明治政府がいわばでっちあげた事件の死刑囚の人たちがいたことはある程度知られています。この無実の囚人のことはこの小説を読んでも、当時の日本人にも知られていたということです。
大逆事件ね。ほいきた、検索しますよ。「大逆事件」ね。1910年、天皇を爆弾で暗殺しようとした事件です。
俺、知ってる。幸徳秋水の事件でしょ。全くそんな計画には関係ない人たちも刑死したという事件です。なんか反体制派の人たちが結構捕まって……
そう。実際の暗殺計画もあったらしいがそれに便乗して政府が何の関係もない人たちを無実とわかっていて検挙したということだ。首謀者と言われた幸徳は、湯河原で逮捕されたんだよ。12名が死刑となったがその中の幸徳など8名は無実であったことが現在知られている。また、いろいろな人のエピソードが語られている。和歌山新宮の医師大石誠之助なんか、本当の正義感を持った誠実な人だったそうだ。大石の刑死を悲しむ与謝野鉄幹の詩が残っている。全くの冤罪だったことが、当時から知られていたということだ。また、菅野スガという女性がやはり刑死したが、この人は幸徳は何も知らず、なんとか助けてやってくれと獄中から秘密裏に仲間に頼んでいたという証拠が、近年新聞で報じられた。針で刺して文字を書いていた手紙があった。「幸徳は何も知らないのです」とあった。
裁判は証人調べなどもなく処刑されたらしいね。
この小説の「わたし」はほぼ荷風と同一と考えてしまっていいのかと思うんですけど(もちろんいつもは作者と同一視してはならないと思いますが、なぜかそう離れたものではないような気がしちゃう)、現実社会との関係を感じるからです。その批判精神を強く感じるからです。作者が持ってる指向とそう違わない人物像が「わたし」に違いない。この正義感が根本的に同じように思えるから、私たちはこの小説を読むんです。
この事件は日本史では有名な事件だよね。
おら、世界史だから知らんかった。
おれは理系だけど、このくらい知ってら。
まあ、そんなことで自慢すんな。
とにかく、この事件が「わたし」を「下民」の中に埋もれさせたということを言っているな。しかも事件の内容については「思想問題」といういうくらいで、ほとんど説明しようとしていないじゃないか。もしかしたらこの事件については詳しく書けないという自己抑制が働いたんじゃないかなあ。
そういうことに自分の思いどおりの文章を書けないことに、「良心の苦痛」「甚しき羞恥」を感じたということですね。そして、下民のうちに隠れ棲み江戸時代の戯作者よろしく卑俗なものに専念する、ということですね。日本という体制への反発こそがこの『花火』という小説で示したかったということなんですね。
『明月記』の叫び……と言えるかどうか
みんなは藤原定家という歌人を知ってんな?大隅!どうだ?
知ってますよ。『百人一首』の人でしょう。
そうそう。その人の日記が『明月記』というんだが、それの有名な語句が「紅旗征戎、吾事に非ず」っていうんだ。「世間の戰の勝っただの負けただのというバカくさいことはおれ様の知ったことじゃね―」ということだろう。こういう態度わたしは好きなんだけど、まあ出世できないやつの遠吠えかもしれないが、ケツまくっちゃてんだな。違う解釈もあるらしいけど。小田原の病院での転地療養だけが平和幸福なるものだった、なんて書いてあるね。
本気なの?ポーズなの?
僕はこれ一種の格好つけたポーズのような感じしかしないんですよ。確かに幸徳事件は「わたし」に権力の押し付けだったとは思う。でもわたしの決意は本当の現実拒否だったのか。使っている言葉には極端なものがあるけど、どうも一種の見せかけであるような……。作者のことは僕は知りません。
でも、先生。『花火』の幸徳事件関係の記述はたった11行なんですよ。(岩波文庫 1977版)これだけの記述で彼が下民の中に紛れ込んだのを信じられるでしょうか?
そうであるにしても、『花火』という題の付け方は面白い。花火はぽんぽん上がってんのに、「わたし」はそれに背を向ける。国旗のない家も『わたし」のところだけだ。おめでたい日にわざと退屈な糊仕事なんかする。大逆事件だけでなく人々の苦しさの訴えの米騒動のときだって、全面的に民衆の味方でもなさそうだ。花火ってのは明治政府という体制だけじゃなくてもっと大きな押し付けるものを表象しているんじゃないだろうか、と思うんです。その大きなものに背を向けているのが「わたし」じゃないかな。
国家なんかより大きなものね。うーん。何だろ。でも君たちは面白いね。
だって最後の方で
”目に見る現実の事象はこの年月耽りに耽った江戸回顧の夢からついにわたしを呼び覚ます時が来たのであろうか。もし然りとすればわたしは自らその不幸なるを嘆じなければならぬ。”
と言っている。さっきの話じゃないけど、表面だけの不貞腐れから覚めなけりゃならんなんて言っているのかもしれない。
じゃあ、「覚める」というのはどのようになるということなのかな。「覚める」「覚醒する」してどうしようとしているのかな。ものすごく、ここが「開かれている」ね。つまり、われわれにこの先の展開が任されている。読み取りについての意見発表は、そこまででいいんだけど、みんなは今後覚醒したらどっちへ行くの?これはみんなへ問われていることだよ。
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