70年代にブームとなったラテン文学の一つ
世界の片隅に修道院があった。修道士たちはその責任から離れて美術や科学、哲学の研究に熱中した。その中でただ〈修道士〉とだけ呼ばれている者がいた。祈りだけを旨としていた。
ある日、彼が道を歩いていると、男の子が小さなゴムまりをつきながら通りかかった。そのまりが僧坊の小窓から飛び込んでしまった。「受胎告知」のことを書いた古い本を読んでいた修道士はうろたえた。軽やかに飛びまわるまりは足元にころがった。奇跡の産物だ。まりを拾い上げて投げ返そうとすると、その時なんともいえない歓びがこみ上げそれに触れたとたん法悦、喜悦、子供の歓びが彼に生じた。彼はそれをつかんで罪を犯した人のように一番暗い隅に駆け込み身を隠した。
やがて男にまりのように飛び跳ねてみたいという狂気に似た思いが生まれてきた。その手触りを感じていると、彼は「地球はきっとこんなものに違いない」と思った。こうして彼は修道院でまりつきをするようになった。あの軽さ、すばらしさ、あの白さ。無くしたらさぞ悲しいだろう。
女が男の子を連れてやってきた。子供がまりを失って泣き続けていると。近所の者はあれは間違いなく悪魔の化身だと言っていると。
修道士は母と子供に背を向けて逃げ出した。部屋に着くとすぐまりを放り投げた。まりは跳躍し、外の子供の頭上で魔術のごとくぱっと開いて黒い帽子となった。それは悪魔の悪魔の帽子だった。こうして大帽子男がこの世に誕生した。
今回は難しいなあ。なぜこの小説が人々に読まれているのか。正直私には理解できない。解釈のアイディアも浮かばない。どう?
と先生は切り出した。僕には本当に彼が自分の中で困惑した小説なんだろうと思えた。僕もわけがわからなかった。
こりゃ厄介な物語だぞ
先生!今回の小説がどういう物語なのか、私全くイメージが湧きません。どういう話だと考えたらいいんですかね、方向性だけでもヒントないですか。
私もなんだか印象がぼんやりしていて。ただ、なんとなく「こんなことが話の裏に隠してあるんじゃないかな」というものがあったんです。この授業では私が考えていた小説の解釈というものは、ほとんど先生の話とははずれていたんです。私が読んだ結果としての解釈が平凡なものであって、もっと独創を求めてみたい、というふうには感じていました。でも、今回はなんなのよこれって感じ。先生自身はなんらかの解釈の結論を持っているんですよね?
ごめんよ。正直、自分で納得した答えを今回は持っていない。みんなでこの小説を「~が~する(である)物語」という結論に導いていきたい。今までだってもしかしたらトンチンカンな結論だったこともあったかもしれない。今回もできるだけやってみようよ。
まず、神に見放された土地に修道院があって一人の敬虔な修道士がいた。そこへ男の子のボールが入ってきた。そしたらその修道士がボールにとらわれちゃって夢中になった。男の子と母親がまりを探しに来たが修道士はそれを持って逃げようとした。まりは投げられ、それは黒い帽子になり、それが大帽子の男の誕生となった。
どうしたらいいの、これ。
かつてあったラテン文学ブーム
中南米の小説って何年も前からずっと注目されていて、世界文学の重要な流れになってるって!こういうのばっかりなの?
ちょっとネットで参照してみていいですか?ほら、読者のコメントあるじゃないですか、こんなことが書いてあるよ、とかこう読んでみたら、という短いコメントがありますよ。
えーと、「この小説は意味を考えず、そのまま読むのが良い。」だって。
それが難しい。というか、「そのまま読む」なんてそんなことできるはずがない。何かを僕たちは求めながら読んでしまう。「期待の地平」ってそういうことじゃない?それがあってても、違う方へ行っても、納得感がなければいけないよ。
整理して考えたら?
あの、考えたんですけど。全体を読んで個々の証拠探しをする前に、小道具をまとめて並べてみたらどうでしょうか。
1題が「大帽子男」
2世界の片隅の狂気の船乗りが女王に約束した土地
3そこの修道院
4神像
5美術や学問の好きな修道士たち
6ただ一人敬虔な修道士
7男の子
8小さなゴムまり
9修道士は受胎告知の本を読んでいた
10飛び込んできたゴムまりを隠す
11神には地球かと思う
12悪魔を感じる
13あの軽さ、すばしこさ、あの白さ (あと2回出てくる)
14女と男の子 悪魔の化身だ
15修道士は放り投げる (この悪魔め)
16パッとひらいて帽子になる
こんなもんでしょうか。
いい整理方法だね。全てを利用しなくても、あるいは他の要素を見つけてもいいから、考えてみよう。まず、気になる点は何?
「大帽子」は何を意味するか。わかんないなあ。「世界の片隅の~」は、「彼らが残した悲しみの聖母が象から押し量ると、いずれも悲嘆にくれるスペイン人だったに違いなく」とあるんで、女王はスペイン女王ですよね。グァテマラはスペインの植民地だったんですね。
つまり、修道院はキリスト教の諸文化を集めたところってことでいいと思うんだけど、そこに一人だけ祈りだけする修道士がいた、という設定だ。これは何を言いたいの?
芸術だの文化だのを寄せ付けない純粋な宗教としてのキリスト教を信仰するものってことだろう。神そのものへの信仰であって、美への感動とか、そんなものには関心ない男だったということだ。でも、そういう純粋の信仰なんてあり得ないんじゃない?偶像の進行を禁ずる宗教だって礼式とか祈りの方向だとか、何か掟はあるからな。なんらかの信仰をあらわす記号はあるはずだよ。
そういう男のところに飛び込んできたまりだ。このボールが何を意味するのか、ということだね。
何を意味するか? まず意味するってどういうこと?
何を意味するか?ちょうどいい。ここで「意味」という言葉について考えてみよう。
「意味」ってなんだ?
よく、「こんなことやって意味ねえ」とか「意味あることをしたい」とか言うけど、これはほとんど「価値」という言葉と同じじゃないかな。ということは「本」とか「勉強」とかいうもの、現象、状況などそのものではないよね。そのものを測ることのできる基準みたいなものじゃないか?でも、価値とは関係なく、例えば「ことばの意味」とかいう使い方もある。でもその時の「意味」だって言葉の価値を聞いている、とも言えるんじゃないか。ある価値観を持って意味内容を語るんじゃない?「アメーバの意味」とかいうとアメーバに対する価値観も含むと思う。
そうだなあ。『哲学の木』には
私が電車で長時間立ちっぱなしで疲れを覚えていたとする。停車した駅で私の目前の席に座っていた乗客が下車したら、おそらく私は空いた席に座るだろう。なぜなら、私は、電車という構築物の一定の空間部分を〈空席〉という意味としてキャッチしたからである。ここでは〈空席の理解〉と〈座る〉という行動とは切れ目なくつながった一つの過程として生起している。
人間の行動や心的態度へ効果を生む「意味」という考え方は、アメリカの知覚心理学者ギブソン(J.J.Gibson)のアフォーダンス理論において洗練されたかたちで唱えられた。〈アフォーダンス〉(affordance)とは、環境が同部tるへ提供する「意味」ないし「価値」である。
『事典 哲学の木』講談社
とある。つまり空席になったということは、そういう環境がそこに「座る」という「意味」を誘導するものだといっているのだ。環境が(現実が)意味を僕たちに記号として誘導する、ということかなあ。
とすると、「白いボール」は何を僕たちに誘導するんだろうな?
「白い」というと清潔とか無垢とか、あるいは無罪とか、また降伏なんかも。日本なら熟練していない素人、なんか言うってことも。
じゃあ、まり、ボールは?
角がない、完璧、転がる、まずむ、円満、無限、永遠。それから仲間、金(カネ)
それじゃ、修道士がまりを持つとどうなる?
ちょっと待って。「創造主の手の中では、地球はきっとこんなものに違いない!」って書いてあるじゃんか。
ボールは地球で、自分はそれを自分のものとしていることを実感したということか。研究ではなく祈りによって神を自分のものとした。
でもその前のところ、まりを白いいたちを思わす、っていってる。イタチって狡さを誘導しない?白くて狡賢い奴らだよ。これはわかりやすくない?
じゃあ、白い球は白人?スペイン人?征服しにきた外国人?
被征服民の感情は感じてしまうな
だから、初めのところで女王とか出てきて……だいたい修道院なんてスペイン人が征服した時に入ってきたわけでしょう?ここはもともとマヤ文明ですか。白人に征服された世界を意味していると考えると白い球は悪魔かもしれませんね。それは非常に人を惹きつけるものではあっても、すばしっこくて、軽くて、白いものは捕まえきれない白い外国の人。
とすると、それが魔術のように大帽子になっちゃう、ということは?
原題は「Leyenda del Sombreron」ソンブレロってあの西部劇のメキシコ人が被ってるつばのひろい帽子だろ。それがなんだというの?ソンブレロ男ってなに?
大野!なんが情報ない?
ありました!グアテマラではもっとも有名な伝説の一つ。ソンブレロ男の伝説といって、美しい女性に魅了されて歌を送り近づき、その日以来女性は眠れなくなってしまったという。そんな話があるようです。
すると、この小説を読み取るには中南米の伝説についての知識がある程度なければならなかったのかな。でも、それはあくまで作者の意図であって私たちは私たちだもんね。これは読者の権利だよ。
政治的なことを別にしても物語をまとめた文はできる
しかし、物語を文にまとめれば、人を魅了するものを持つものの強さを語る物語だ、という基本的な考え方はいいんじゃない?しかし、その他の要素を入れなくてはならないだろうけど。
なるほど。とは思うけど、「受胎告知」の本を読んでいた時に突然入ってきた白いボール。でもそれは実は悪魔的だったなんて。そして、最後に出現したのは愛を歌う男だったこと。それらは白人に征服される以前の時代への賛美だと思うよ。みんなむしろキリスト教渡来前への回帰を感じる。もしかしたら反キリスト教、反スペイン、マヤ回帰の物語ではないかな。
フーン。もう少し時間をかけて考えたいところだなあ。いずれにしても、次々にいろいろ見方が出てきて、私も面白かったよ。
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